NO SIDE 第13話~第18話

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第13話~ミウ1~

1995年 4月

良い天気だった。
ちょっと蒸し暑さはあるけれど、
この季節の晴れの日は、本当に気持ちが良い。
予定より遅れ気味だったので、
私は少し急ぎながら、大学への道を歩く。

(後ろから5番目の窓際)

昨日セナから聞いた場所を思い出していた。

(まだ、誰も座ってなければ良いけど…)

それにしてもせっかく
一緒に同じ大学に通えると思ったのに、
しばらくは無理だと思うと残念だ。
セナはもともと呼吸器官が弱くて
高校の頃から学校を休みがちではあったが、
今回は受験の疲れも重なり、
ちょっと長い休みになるかもしれない。

「お願いがあるの」
「なに?」
「私夏の講習の時に、合格したら
ここに座るって席を決めてあるの」
「へえ…。そうなんだ」
「ミウ…、私の代わりにそこの席に座ってよ」
「私が…、セナの代わりに?」
「そう。私にとってあの席は
とても大切な席なの。だからお願い」
「だけどさ、どこの席かわかるかな?」
「大丈夫よ」
「なんでよ?」
「受験の時に、机にミウの名前書いたから」
「…」

早く元気になって、一緒に大学に行こうと約束して、
昨日はセナと別れた。
それにしても、机に落書きなんて、
セナも結構大胆だ。

(でもなんで私の名前なんだろう?)

時々セナはそうなのだ。
まるで先のことがわかるみたいに、
行動する事がある。
きっと私の名前にしたのも、
自分がスタートから行けなくなる事を
予測してのことだろう。
セナがくるまで、彼女の分も頑張ろうと思いながら、
私は大学の門をくぐった。
講義の教室に入ると、
私はすぐに窓際の後ろから5番目の席をさがした。

(げっ!)

すでにその席は座られていた。
しかもこの大学では、数少ない男にだ。
何となく見たことのある顔だった。

(受験の時に見たのかな?)

私は一度後ろの席に座り、
彼に気づかれないように、
セナの書いた落書きをさがす。

(あった!)

たしかにその席には、私の名前が書いてある。

(どうしよう…、セナとの約束だし…。
でも男かぁ…。めんどくさいなぁ)

どうせセナな見てないし、
「座ったよ」って一言ウソをつけばすむことだけど…、
病室のセナの顔を思い出すと、
そんな裏切りは出来ないと思った。

(よし!)

私は思い切って立ち上がり、
その彼の前に立った。

「ねぇ」


第14話~ミウ2~

私は講義中も後ろの彼の事が気になっていた。

(…やっぱり怒ってるかな?)

後ろからの視線が痛かった。
彼が怒るのは当然だ。
いきなり知らない女性から
席を譲れと言われ、
その理由が自分の名前が
書いてあるからというのでは、
到底納得のいく話ではない。
しかも、あんな言い方で…。

(…なんで私はあんな言い方しか
できないんだろう)

幼い頃から負けん気が強く、
男の子相手に喧嘩しても
負けた事がなかった。
中学の時に両親を失ってからは、
ますますその傾向が強くなり、
男子には煙たがられ、
女子の間ではなぜか人気があった。
ただ、その「強さ」は、
自分の寂しさや弱さを
他人には見られたくないという
気持ちの裏返しであるということを、
自分でよくわかっていた。

(講義が終わった後でにでも、
謝ったほうがいいかな?)

そんな気持ちもあったが、
謝る理由を説明しづらい。
そんなことを考えながら受けていた
講義が終わり、
まだその後の行動を悩んでいる
私を気にする事なく、
その彼は、さっさと教室を
出て行ってしまった。
次に会った時にでも
謝ろうと考えながら、
私は次の講義の教室に向かった。

その日の講義が全て終わると、
前から見つけていた喫茶店に
バイトの面接に向かった。
祖母に世話になっている私は、
高額な音楽大学の授業料を
少しでも負担する必要があった。
祖母にだけ迷惑はかけられないという
気持ちで一杯だった。
平日は授業があるので、
大学の近くでバイトしたいという
希望があった。
だから前もって大学の近くで、
バイトの募集をしているところを、
見つけておいたのだ。
さらに土日は、別のバイトをしようと
考えてもいた。
祖母は、そこまでしなくていいと
言ってくれているが、
そうでもしないと、
私を希望の大学に通わせるために、
無理をしている祖母に
申し訳なかった。

喫茶店のマスターは、
私の事情を理解してくれて、
「明日からおいで」と
言ってくれた。
学校が終わった後だけでなく、
講義の合間も働きたいという
私の想いを理解してくれた。
良いマスターに会えて、
嬉しかった。
こうして私の大学生活は、
始まった。


第15話~ミウ3~

その彼が私がバイトしている
喫茶店に来たのは、
4月の終わり頃だった。
あの初対面以来、
彼の事は気にはなっていた。
同じ失敗を繰り返すのは
嫌だったので、
あの教室で講義のある時は、
早めに行くようにしていた。
その甲斐があって、
セナとの約束の席は、
ずっと確保できていた。
それと同時に、
彼がどの席に座ってるのかが
気になっていた。

その日私は、歌のレッスンが
長引いてしまい、
バイトの時間に遅れてしまった。
このくらいの時間帯は、
滅多にお客さんはいないので、
店への道を急ぎながらも
マスター一人でも
大丈夫だろうと考えていた。

「マスター、ごめんね!遅くなっちゃった」

お客はいないと思い込んでいた私は、
店に入るなりマスターに向かって
大声を出した。
マスターはあわてたように
口元に指をあて、
「ミウちゃん。お客さんがいるんだよ」
と私を嗜めた。
その時のお客が彼だったのだ。
そして私は、ようやく彼に
あの日のお礼を言う事ができた。
そして彼の名前が
「トキヤ」である事を知った。

それにしても、私は相変わらずだった。
私は男性とのコミュニケーションが、
どうも苦手なようだ。
意識しているわけではないのだが、
自分でも嫌になるくらい、
可愛くはなかった。
彼に私がどんな風に映ったか
気になっていた。
きっと私が自分で感じてるように、
気の強い、生意気な女性として
映っているに違いない。
そう思うと、なんか辛かった。

それにしても初対面から
こんなに気になる男性は
初めてだった。
ただその頃の私は、
その気持ちが「愛」に変わるなんて、
夢にも思っていなかった。


第16話~ミウ4~

6月になった。
この頃の私は祖母の看病で
大学を休みがちだった。
そして間もなく、
私の最愛のおばあちゃんが亡くなった。
両親が亡くなってから、
ずっと私を育ててくれた
祖母との別れは、本当に悲しかった。
葬儀の時に、
私の歌と、トキヤ君のピアノで
おばあちゃんを見送る事ができた。

彼を誘ったのは偶然ではなかった。
私は前から、彼のピアノで
歌を歌いたいという想いがあった。
私は彼のピアノを聞いたことがある。
大学には学生のための
練習室がある。
ある日歌の練習をしようと、
借りた部屋に向かう途中で、
通りがかった部屋から
流れてくるピアノの音に、
私は心を奪われた。
なんともいえない、
美しい音色だった。
部屋のドアの前に立ち
私はその音色を
しばらく聞いていた。

(誰が弾いているのだろう?)

ドアには小窓が付いていて、
部屋の中をのぞく事ができる。
そっとのぞいて見る。
彼であった。
彼がピアノを練習していた。
音色から女性だと思っていた私は、
びっくりした記憶がある。
その日以来、
いつか彼の伴奏で歌を歌いたいと、
思っていた。
ただ、こんな性格の私なので、
何かきっかけがないと、
彼に伴奏をお願いする事など
できない。
祖母の葬儀の日に
彼を誘えたのは、
これ以上ない
シチュエーションだったのかもしれない。
そんな状況でなければ、
私の性格では、
彼にお願いすることなんてできなかった。
そしてこれが、
祖母から私への最後のプレゼント
だったのかもしれないと思った。

一人ぼっちになってしまった私を
セナはとても心配してくれた。

「…で、大学は続けられるの?」
「うん。おばあちゃんが
残してくれたものもあるし、
バイトも頑張ってるから
何とかなるかな」
「力になれなくてごめんね」
「私のことはいいから、
セナは自分の体のことを
心配してなよ」
「そうだけど…、
友達が困っている時に
何もできないなんて、
なんか悔しい」
「いいのよ。
きっとそのうちセナに助けてもらう時も
あるって。…だから気にしないの」
「そうなのかな?
私がミウの力になれる時が
くるのかな?」
「きっとくるわよ。
それより、あの席、
ちゃんと座っているわよ」
「本当?ありがとう」
「ねぇ、あの席ってなんかあるの?」
「あの席って、夏期講習も受験の時も、
私の待機場所だったのよ。
そんな事って、なかなかないでしょ?
そして受験もうまくいったし、
私にとってはすごく縁起の良い
席なのよ」
「…本当にそれだけの理由なの?」
「健康優良児のミウにはわからないのよ。
私みたいに体の弱い人間にとっては、
あの受験がどんなに大変だったか」
「…そうだね。
でも本当によく受かったね」
「でしょう。
だから縁起の良い事は、
大切にしないとね」

きっとセナには音楽大学を受験する事は、
私の想像以上に大変な事だったのだろう。
それにしてもセナが
思うように回復していないのが気になる。
本当に大学にこれるのだろうか?
セナにとっては、
東京はあまりにも厳しい環境だ。
セナには、もっと自然のある
地方の大学に進学する話もあった。
ただ彼女は、私と同じ音楽大学への
進学を強く望んだ。
私はそんなセナの気持ちが
嬉しかったけど、
今の状況を考えると、
セナのために私に出来た事が、
もっとあったのではと思えて、
セナや彼女の家族に
申し訳ない気持ちで一杯だ。
とりあえずあの席に座り続ける事で、
少しでもセナの代わりができるなら、
私はあの席に座り続けようと思った。


第17話~ミウ5~

1998年 4月

私もトキヤも
無事に4年生に進級できた。
トキヤとは、祖母の葬式以来
何となく仲良くなり、
そしていつの間にか
付き合うようになった。
そして、付き合い始めて
もう3年近くになろうとしている。
私は相変わらず
バイトに忙しい毎日だったので、
トキヤとデートらしいデートは
出来なかった。
でもそんな私の事を、
トキヤは良く理解してくれて、
決して無理な事は言わなかった。
バイト帰りに一緒に私の家まで行き、
一緒に夕食を食べて、
そして大学では隣に座って講義を受ける、
そんなささやかな時間でも、
私にとっては、幸せな時間だった。

バイトが休みの日も、
私の体に気を使ってくれて、
あまり遠くまで出かける事はなかった。
その理由は他にもあって、
私はどうやら「アメオンナ」らしく、
バイトが休みの日に限って、
雨なのだ。
朝、目覚めて雨の音を聞くたびに、
彼と顔を合わせてため息をついた。

最近私たちは二人の結婚の話をする。
今すぐの話ではないので、
現実味が薄く、
逆に気軽に結婚の話ができるみたいで、
婚約指輪はどうとか、
どこに住みたいなどと、
勝手に想像して楽しんでいた。

そして私たちには、
お気に入りの「チャペル」があった。
私の家の近くに、
そのチャペルはあるのだが、
暇さえあればそのチャペルの前を通り、
二人して中を覗き込んだりした。
そしてこのチャペルで結婚式を挙げる事が、
二人の夢になった。

その日はトキヤより大学が早く終わったので、
バイト前に一度家に帰ろうと、
ひとりでチャペルの前を通りがかった時に、
急に声をかけられた。

「こんにちは」

声の方を見ると、
そのチャペルのスタッフだと思われる人だった。

「いつもここの前を通られますね」
「ええ、私の家がこの近くなので…」
「今日はおひとりですか?
男性の方とよく一緒ですよね」
「ええ、今日はひとりです」
「ちょっとお時間を頂けませんか?
ご相談したいことがあるのですが」

急にそんなことを言われてびっくりしたが、
バイトまで時間があったことと、
チャペルの中に興味があったので、
私は話を聞くことにした。
その人は、やはりチャペルのスタッフだった。
ウエディングの担当らしい。
話というのは、今度このチャペルで、
ウエディングフェアを行うので、
その時のモデルになってくれないかという
内容だった。

「このようなフェアでは、通常はプロのモデルを
頼むのですが、私たちは地域に密着した
フェアを行いたいと考えております。
あなたの事を拝見しまして、
以前よりここのスタッフで
話をしていたのです。
で、今日お話を伺ったら、
地元ということですので、
ぜひ新婦のモデルをお願いしたいのです」

彼も一緒でよいかと尋ねたが、
もうすでに新郎のモデルは、
決まっているとのことだった。
トキヤと出来ないのなら
断ろうと思ったが、
そのスタッフの熱意に押されて、
私はついOKをしてしまった。


第18話~ミウ6~

フェアのモデルになる事を
トキヤに話すべきかどうか、
私は迷っていた。
モデルとはいえ、
自分の彼女が
ウエディングドレスを着るのは
嫌だろう。

私は結局
彼に黙ってそのフェアに参加した。

ところがそれが失敗だった。
どこでどう知ったのか、
トキヤがそのフェアに来てしまったのだ。
すでにセレモニーの本番が
始まっているのに、
怒ったように私の名前を呼んでいた。
とても恥ずかしかったが、
これも仕事と割り切って、
彼の存在を無視して、
私はモデルに専念した。

後で彼と話をしたら、
私がフェアに参加した事ではなく、
自分に話さなかった事の方が嫌で
怒っていたらしい。
本当に彼の言うとおりだ。
フェアが終わった後、
私はひたすら彼に謝った。

それにしても本当に素敵なチャペルだった。
それほど大きくはないのだが、
何ともいえない開放感がある。
きっと、ところどころに使用されている、
ガラスから見える外の景色が、
そんな開放感を与えているのだと思う。
前面のステンドグラスも、
とても素敵だ。
スタッフの人から聞いた話だと、
相当に良い物を使っているらしい。
トキヤもこのステンドグラスを
気に入っていた。

それからの私たちは、
そのチャペルの前を通るのが、
日課になっていった。