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学校に勤務したのは9年間。
そのうち、担任を任されたクラスは3クラス。
どのクラスも思い出に残っているが、
その中でも1年4組のことは忘れられない。
おそらく、定年まで学校に勤めたとしても、
あんなクラスとは出会えなかったと思う。

学校の制服が学ランからブレザーに変わった、
学校の歴史が変わった最初の学年である一年生。
自分が任されたのは4組だった。
担任となり子供たちが入学する前に
最初に考えるのが「学級目標」
自分が出した答えは、

「楽しくなければクラスじゃない」

どこかのテレビ局のキャッチコピーをアレンジした。
この目標実現のためにどうするかを、
子供たちが創造して実行する、
主役は子供たち…ということを表した
良い目標だと思ったが、学年主任の先生からは、
「これは目標でなくてスローガンなので、
学級目標は別に考えてください」と言われたが、
何とか説得して「楽しくなければクラスじゃない」を
目標に掲げた。
後から思えば、それが正解だった。

クラスがスタートして、最初の頃は何事も無く過ぎていく。
4組が変わったのは、校内合唱コンクールだった。
クラスの取り組みに何か物足りなさを感じた自分は、
子供たちにこう告げる。

「みんなにとっての初めての行事だから様子見たいのはわかるよ。
でも学校行事って自分たちの意思で参加しないとつまらないよ。
やらされてる感覚の中で参加するのって嫌じゃないか?」

伝えたのはこれだけだった。
それで変わるところが4組の凄さだった。

2、3日経ったある日、隣のクラスの先生から

「4組、凄いですね~朝練やってて」

と言われ、最初何のことかわからなかったが、
子供たちが朝早く来て教室で合唱の練習をしているという話。
ビックリした。何も知らなかった。

子供たちに確認すると朝早く全員学校に来て
合唱の練習をしているらしい。
この時代はまだ携帯などない時代で、
この時の学級委員の女子が、緊急連絡網を使って
各家庭に電話で連絡したらしい。
「明日から合唱の朝練やるので来てください」って
自分のあの言葉だけで、クラス全員が動いた瞬間だった。

各クラスがそれを真似て朝練をやり始めると、
4組の子供たちは休み時間も練習を始めた。
音楽の授業はさらに凄くて、
自分が音楽室に行くと、自分たちですでにパート練習を始めていた。
自分がいなくても勝手に授業が始まっている状況だった。
出来てないところを言い合って、繰り返し練習していた。
ただその練習は不完全ではあった。
でもその姿勢や雰囲気を大事にしたくて、
自分は口を挟まずに、子供たちの任せることにした。
今でもこの時に自分の指導を入れてもよかったのではと
後悔している部分もある。

どのクラスよりも頑張って取り組んでいたが、
結果は賞がもらえなかった。
残念そうにしている子供たちに、

(先生として子供たちの今回の頑張りを評価してあげれないか)

考えた結果、手作りの「感謝状」の賞状を作って、
子供たちに渡すことにした。
「みんなの取り組みは、担任としてとても感動した」
こんなことしか出来ない担任だったが、
その手作り賞状を、子供たちは教室に飾り、
クラスが解散するまで大事にしてくれた。

それからの4組は本当に凄かった。
授業評価もよく、ほとんど最高評価だった。
たまに5段階の3という評価を教科担任からもらうと、
自分たちで反省して、時には先生に謝りにまでいっていた。
授業中のグループでの討論も、ビックリするほど
活発な意見交換をしていた。

ノリも良いクラスで、「明日自分は出張でいない」というと
「寂しい」「行ってらっしゃい」などの声が飛び交っていた。
大掃除で外清掃した時に、終わってクラス全員が集まってる時に、
「先生、歌って!」となって、自分がほうきマイクに歌いだすと、
クラス全員で盛り上がっていた。
生徒の一人がラジオにその時のことを投稿したら読まれたらしく、
そんな事でも盛り上がってた。
動と静のメリハリがはっきりしているのも4組の特徴だった。

運動会でクラス対抗で担任を仮装させるという競技の時も、
自分が着替える時に、足元が汚れないようにと
シートまで用意してくれた。
他のどのクラスも思いつかないことを
4組の子供たちは簡単にやってのけた。
クラス目標の「楽しくなければクラスじゃない」を
どうしたら実践できるかを考えて行動できる子供が
クラスの中にたくさんいたのが担任として驚きだった。
もちろん4組の中には問題をかかえてる子もいる。
小学校からの申し送りでも大変そうだなと思う生徒はいた。
でもその生徒さえも動かしてしまうクラスの雰囲気が出来ていた。

4組が解散する時に、一番泣いてくれたのは、
副担任で付いてくれてた先生だった。
その先生が4組の子供に言ったのが、

「みんなは本当にこのクラスで幸せだったんだよ」

この言葉が全てだと思った。
わずか9年間、持ったクラスは3クラス。
その中で4組のようなクラスに出会えたことは、
本当に幸せだったし、良い思いででありよい経験だった。

が、これで終わらないのが先生業ってやつだ。
新しいクラス担任になった時に、
4組を超えるクラスを作りたいという想いが強く、
だいぶ空回りした。
そして元4組の子供たちも、
新しいクラスの雰囲気とのギャップに
苦しんだりもしたらしい。

今、十分な大人になったあの頃の生徒たちが、
あの時の4組とその後をどう思ってたのか、
いつか聞いてみたいものだ。

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